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KGフォーラム (けーじーふぉーらむ)
【更新時刻】 2007/07/08 03:45:48
【分類】 [サークル] [学生]
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(1) 宗教団体浄土真宗親鸞会の学生サークル名。KGは関西(Kwansei)学院(Gakuin)大学の略。 [seaglet]

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化城を突破して (けじょうをとっぱして)
【更新時刻】 2008/08/19 07:11:40
【分類】 [活動] [発行]
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【関連語】 獲信の記録
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(1) 高森顕徹氏が1949年1月に華光社より出版した処女作。当時の販売価格は50円。
序文は本願寺派の勧学であった高雄義堅氏が記した。
この著作は後に『獲信の記録』と改題され、再版された。
『化城を突破して』の内容については、『獲信の記録』を参照のこと。 [seaglet]

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顕正 (けんしょう)
【更新時刻】 2009/03/03 23:07:36
【分類】 [法戦] [発行]
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(1) 真宗大谷派講師の柏原祐義氏が書いた非難パンフレット(高森顕徹氏を名指しで非難したもの)に対して高森氏が1958年12月1日に執筆し同年12月10日に出版した反論書。

非難パンフレットは滋賀県の会員によって高森氏のもとへ届けられた。また、本書は高森氏が布教の合間を縫って4日間で書き上げたという。

本書について高森氏は「私の著書としては最初の部類に入る」と述べていてあえて処女作とはしなかったのは、華光会に属していたときに出した本(『化城を突破して』)が処女作であったからである。

サブタイトルは「石も木も驚くこれが非難の真相だ」となっている。

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顕正 2 (けんしょう)
【更新時刻】 2007/01/27 22:16:53
【分類】 [活動] [勧誘] [法戦]
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【関連語】 破邪顕正
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(1) 破邪顕正を参照のこと。 [seaglet]

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顕正新聞 (けんしょうしんぶん)
【更新時刻】 2009/03/05 12:10:39
【分類】 [活動] [発行]
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【関連語】 情報部弘宣部童心
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(1) 浄土真宗親鸞会の機関紙。
1962年6月創刊。

創刊以来、毎月1回15日に発行されていたが、1972年1月号より発行日は毎月20日になり、1981年1月号より毎月15日の発行に戻された。その後、1986年7月より毎月1日と15日の2回の発行となった。

当初の編集責任者は深松賢雄氏(当時は本部長。最終役職は最高顧問)であったが、編集局が設けられてから編集局長が担当するようになり、その編集局は情報部弘宣部と変遷していった。

発行所の欄に鷲のマークが入ったのは第2号からであった。

『顕正新聞』という名の機関紙は、宗教団体では親鸞会以外に冨士大石寺顕正会が発行していることが知られている。
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顕正戦 (けんしょうせん)
【更新時刻】 2009/03/06 13:19:49
【分類】 [活動] [勧誘] [法戦]
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【関連語】
【意味】 (→意味追加)
(1) 破邪顕正を参照のこと。 [seaglet]

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顕正パンフレット (けんしょうぱんふれっと)
【更新時刻】 2009/06/29 02:11:36
【分類】 [発行]
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【関連語】 会報
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(1) 1981年1月から発行を始めた小冊子の名前。1982年6月に『とどろき』と改名されるまで続いた。
小冊子『会報』を参照のこと。 [seaglet]

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顕正一口メモ (けんしょうひとくちめも)
【更新時刻】 2009/03/06 21:11:23
【分類】 [活動] [法戦] [発行]
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【関連語】
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(1) 高森顕徹氏が信者たちの顕正戦のために作成発行した問答集。
親鸞会や高森顕徹氏に対する非難を問いとし、それに親鸞会の信者が答えて破邪するという想定問答集であった。非難してくる者としては「ある人」「本願寺の坊主」「坊主」「本願寺」「ある坊主」「西本願寺」「謗法のある人」「邪教の信者」が想定された。
この想定問答集にはAとBの2種類が存在する。
Aは50の問答が収録され1979年3月1日に発行、Bは50の問答が収録され同年6月30日に発行された。
サイズは常日頃、繰り読みできるようにポケットサイズになっていた。
宣伝文は「寸言をもって群敵を撃破!さえわたる破邪の利剣!」「顕正戦必携の書」であった。
『顕正一口メモ』にある問答の初出は『顕正新聞』で、1975年6月発行の『顕正新聞』で「顕正一口メモ」が記事として初めて掲載され、その後、1979年4月まで100の問答が掲載され、切りのいい100で一旦は「終了」とされたが、その後も続けられ、結局のところBが発行されるまでに掲載された102の問答の中から100の問答が抜粋された。発行された『顕正一口メモ』はそれらの問答を50ずつに分けて2冊の短冊型のポケットブックとしたものであった。
『顕正一口メモ』に収録されなかった問答は以下の2つであった。
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ある坊主「信心決定していない者でも、みな化土へゆけるのに親鸞会は地獄へ堕つると言うのは間違いだ」
親鸞会の会員その1「地獄一定の親鸞であったとは告白していられるが、化土一定の親鸞であったとはどこに仰言っているか。答えてみよ」
親鸞会の会員その2「この信心決定できなければ無間地獄に堕在すると書いてある『御文章』はオドシか、ウソか」

本願寺の坊主「親鸞会は地獄秘事を主張するものだから間違いだ」
親鸞会の会員「本願寺は地獄秘事とはどんなものか知っているのかい。言ってみよ」
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問いに当たる非難文を『顕正新聞』で募集したこともあった。もちろん、それに回答するのは高森顕徹氏であった。

想定問答の内容は全体的に喧嘩腰で、相手をからかったり見下す言葉、言い過ぎと思われる言葉が多くみられ、相手の人格を傷つけるような文言も枚挙に暇がない。

「お前のような者を外道と言うのだ、外道は必ず地獄へ堕つる」「入院はどこの精神病院にされるのかなァ。お気の毒に」「今からお前は歌うな」「無信心のデクノボー」「何をねとぼけているのだ」「ねとぼけるな」「腑抜けだ」「無気力で腑抜けな本願寺の坊主」「ネムタイモンばかりだ」「地獄は坊主で満員だそうな」など。
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顕真学院 (けんしんがくいん)
【更新時刻】 2006/12/22 04:39:40
【分類】 [組織] [拠点]
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【関連語】 講師学院
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(1) 講師学院が1996年5月に総合的な人材養成機関として発展改称して顕真学院となり建物(本館)も建設された。卒業後には講師部、親友部、翻訳部などへの道が開かれている。学院入学者の急増により1999年には新館が建設された。 [seaglet]

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