非難パンフレットは滋賀県の会員によって高森氏のもとへ届けられた。また、本書は高森氏が布教の合間を縫って4日間で書き上げたという。
本書について高森氏は「私の著書としては最初の部類に入る」と述べていてあえて処女作とはしなかったのは、華光会に属していたときに出した本(『化城を突破して』)が処女作であったからである。
サブタイトルは「石も木も驚くこれが非難の真相だ」となっている。
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創刊以来、毎月1回15日に発行されていたが、1972年1月号より発行日は毎月20日になり、1981年1月号より毎月15日の発行に戻された。その後、1986年7月より毎月1日と15日の2回の発行となった。
当初の編集責任者は深松賢雄氏(当時は本部長。最終役職は最高顧問)であったが、編集局が設けられてから編集局長が担当するようになり、その編集局は情報部、弘宣部と変遷していった。
発行所の欄に鷲のマークが入ったのは第2号からであった。
『顕正新聞』という名の機関紙は、宗教団体では親鸞会以外に冨士大石寺顕正会が発行していることが知られている。
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本願寺の坊主「親鸞会は地獄秘事を主張するものだから間違いだ」
親鸞会の会員「本願寺は地獄秘事とはどんなものか知っているのかい。言ってみよ」
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問いに当たる非難文を『顕正新聞』で募集したこともあった。もちろん、それに回答するのは高森顕徹氏であった。
想定問答の内容は全体的に喧嘩腰で、相手をからかったり見下す言葉、言い過ぎと思われる言葉が多くみられ、相手の人格を傷つけるような文言も枚挙に暇がない。
「お前のような者を外道と言うのだ、外道は必ず地獄へ堕つる」「入院はどこの精神病院にされるのかなァ。お気の毒に」「今からお前は歌うな」「無信心のデクノボー」「何をねとぼけているのだ」「ねとぼけるな」「腑抜けだ」「無気力で腑抜けな本願寺の坊主」「ネムタイモンばかりだ」「地獄は坊主で満員だそうな」など。
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