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菊一文字 (きくいちもんじ)
【更新時刻】 2007/07/08 03:45:48
【分類】 [活動] [勧誘] [サークル] [学生]
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(1) 宗教団体浄土真宗親鸞会の学生サークル名。 [seaglet]

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岐阜会館 (ぎふかいかん)
【更新時刻】 2006/05/04 06:33:12
【分類】 [拠点]
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【関連語】 講師学院
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(1) 岐阜県岐阜市に1978年に建立された会館。 [seaglet]

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木村耕一 (きむらこういち)
【更新時刻】 2007/09/15 09:22:55
【分類】 [組織] [人物]
【参照URL】 http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2007/08/1_5a7b.html
【関連語】 1万年堂出版弘宣部
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(1) 浄土真宗親鸞会の布教師である山崎豊氏が1万年堂出版から本を出す際のペンネーム。
芸能人の木村拓哉氏の「木村」とノーベル化学賞受賞者の田中耕一氏の「耕一」を合わせて作ったペンネームだという。
山崎氏は1万年堂出版の編集部長でもある(2007年9月1日現在)。富山大学在学時に親鸞会に入会。学生時代より情報部通信員として活躍。1983年4月より文章布教技術を研鑽すべく東京のジャーナリスト専門学院とエディタースクールにおいて半年間受講する。その後、情報部専属の布教師となる。文章伝道活動では、親鸞会発行の機関紙、雑誌向けの記事を書くだけでなく、一般新聞への投書も行い、仏教雑誌『大法輪』(1993年4月1日、大法輪閣発行)にも投書が掲載されたことがある。

昭和34年、富山県生まれ。
富山大学人文学部中退。
東京都在住。
エッセイスト。
(著書『親のこころ』の奥付より)

親鸞会から発行された著書(「山崎豊」名義)は以下のとおり。
『親鸞聖人の旅(上巻)』『親鸞聖人の旅(下巻)』『蓮如上人の旅(上巻)』

1万年堂出版から発行された著書は以下のとおり。
親のこころ』『こころの道』『親のこころ おむすびの味』『こころの朝』『思いやりのこころ』
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[03/04 23:42] 阿弥陀仏:朝日新聞を超えるんじゃなかったの?
[03/04 23:42] 阿弥陀仏:朝日新聞を超えるんじゃなかったの?


獲信 (ぎゃくしん)
【更新時刻】 2009/06/21 21:07:58
【分類】 [教義] [教学]
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【関連語】
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(1) 信を獲ること。阿弥陀仏から真実信心を賜る宗教的救いのこと。またはその体験をいう。すなわち絶対の幸福を獲ることで「信心決定」「信心獲得」とも呼ばれる。
獲信体験とは阿弥陀仏から真実信心を賜る宗教的救いの体験で、絶対の幸福の身になる体験をいう。
親鸞会の創始者の高森顕徹氏は1946年の夏にこの獲信体験をしたといわれる。
獲信の体験のない人は例外なく死後に必ず無間地獄に堕ちて永く苦しみ続けるという。
会員たちは獲信体験をすることを人生の目的として日々活動している。

親鸞会発行『列島燃ゆ』には「仏教の小冊子の中に、高森先生の獲信の体験を書かれた原稿投書を読まれ」という記述があるが、この「仏教の小冊子」とは高森氏が獲信体験当時に属していた華光会が発行していた同人誌のことである。

高森氏はそこに次のような獲信体験談を投稿していた。
「生れ落ちるより仏教王国に育ち、なかんずく真宗寺院に生まれさせて戴いたことを、私は、いかなる前世の因縁であってかしれないが、生まれて十数年の後の今頃になって初めて嬉しさと不思議さとに驚き、私自身私の最上の幸福を感じるのであります。否、感じさせて頂いたと言いたいのであります。
小学生時代、進んで中学生当時は、親の言うことも聞かず、それに反対・敵対することをもって英雄豪傑のごとき考えを持ち、尊くも勿体ない如来の存在をもこの汚口にて否定し、永劫の長い間の声をからしての真実の親の叫び声にも耳を傾けず、今日考える時、実に危険きわまる思想を持った哀れな私であったことを、深く恥じるのであります。
中学生当時は戦局ますます深刻苛烈なる状態となり、指導者等の青年奮起の掛け声におどらされて、青年の一時的情熱に動かされ、学業なかばに予科練を志願し、後生真っ暗なそのまま、形式的にとらわれ雄躍入隊、実に今日から考えて滅茶苦茶精神を出し猪的真突自殺的盲進、まことに身のひきしまる、真に永劫に苦しみ、親を悲しませることを敢えて考えることもなく、今日も明日もと特攻隊特攻隊と猛練習を重ね、出て行く未来に目もくれず、なんと無茶な気違いじみた所作をやっていたのであろう。反省するたびに、私の体は何かしら縄にでも縛られ、だんだん締め付けられるような、実に苦しい思いを感じ、その当時を思い浮かべることができなくなるのであります。
幸いにも如来の大悲摂化の願心は、この可愛そうな、情けない、仏までののしったところの極悪人のこの私を、どうかして救うてやろうと、終戦の詔勅となり、ここに復員を許され、はからずも真理仏教の扉を打たせていただいたのでありますが、いまさら無限のお慈悲に感泣せざるを得ないのであります。この懺愧とともに、私は真に最上の幸福者であった、立派な親様を持ったことを、歓喜せずにはいられないのであります。
敗戦後復員して、今まで熱し切っていた心は急に冷めた時に、つくづく、今までの目当てのものは一つとして当てにはならず、すべて永久性のないものであることが静かになるにつれて私のような愚か者にも分かりかけたのでありますが、それと同時に、何か真実なるものを求めたい、そしてそれを頼りに生活したいと思い立ち、一体何が永久不変のものか、毎日それが私の脳天をかすめるものとなり、遂には苦しみをも感じるようになりました。
それについても、社会のすべてのものは私に常に反抗的であり、矛盾性を有するものであるのに、いっそう私を苦悩せしめるのでありました。一時は自分には燃ゆるが如き予科練精神がある、全てのものが反抗的ならば自分はそれに打ち合ってやろう、何が恐ろしいものか、少しでも我が身に対してかかってくるものに徹底的に伸してしまってやろう、畜生!!と思ってはみるが、何だか恥ずかしいような気がする。自分にはそれだけのことができるか?・・・時間の経過につれて今までの一時的情熱は冷えて、今ふらふらと浮雲の如く、群集心理に駆られ、世人の迷夢に賛同し、永劫の親を泣かせていたのであります。
いっそのこと、私自身本来の姿に立ち返ったらどうかと思い、今日からは親の言葉には絶対にそむかないようにやろうと、急に孝行じみたことをやり出したこともありました。しかしなかなかそれも長続きしないことを非常に悲しく寂しく感じ、やはり何かもっと不動なものをほしいと、その心は強くなってきました。そして堅い信念に生きたいなあとも思った。そこで私は、もとより寺院に生まれたのであるから仏法を信仰しようと考え、無理やりに仏を拝み、そして念仏を称えた。ところが少しも有難くないどころか、それをあざけり笑っている或る者を私は心中に感じ、馬鹿馬鹿しくなりました。いまだに如来が信じられなかったのです。即ち如来の存在を疑っていたのであります。
なんとかこの疑を晴らして安心決定したい一念は、あらゆる方向から工夫をこらしてみたが、やはり駄目だ、永久性がない。まず今日から口の仕事に南無阿弥陀仏を忘れる暇なく称えてみようとも思い、実際やってみると、嬉しいこと、悲しい時、困った折には忘れてしまう。しかしそのまま止めてみるが自分の気がすまない。されば今度は仏法の伝道によって私自身信じたいものだと考えた。
学校の伝道部に入り、一意誠らしく話してみたが、真の安心はできない。或る人は信心を戴かない伝道は奇弁だと非難する。それについても私は非常に恥ずかしかった。穴があれば入りたい気もしたが、どうにも私を迷わせただけでありました。
名誉獲得に常に走る我が心を哀れと思いながら、なおそれを覆い隠そうとする迷雲は、なかなか私を仏道に近づけなかった。そこでまた私は、聞くということが我が真宗では大切であると言われるから、大いに聞こうと毎晩毎晩総会所にお参りさせていただきました。ところがいかに説教を聞いても「うまく言うない」「フフン」とあざける内心に何だかいやになり、或る晩もあまりに自分の立場に苦しみ、ひとつ徹底的に私の理解を促したいと、布教使さんのもとに行き、自分の疑っていたことを問いただしてみたが、これも明解を得ず、満足せずに悲しく淋しい闇夜を帰ったこともありました。
何とかして私達に、地獄の存在、極楽の有無を確実に指してくれる人はないか。
求めつつ、ややもすればこの解答をなし得ざるを自身の偉きが如く考え、人をも迷わし、自分も迷いながら、実に毎日仮夢をやっていたのであります。はからずも夏休み数日前に、増井君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、さらにまた華光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。
南無阿弥陀仏々々々々々々
これも諸兄の方々のお骨折りによるものと、さらに大悲の無限の方便摂化に、ただ感泣するのみであります。毎日毎夜、念仏は楽しい時に苦しい時に、無造作に口より出づる蓄音機にさせていただいて、有難き弥陀の呼び声を聞かせていただけます・・・ただただうれしさで一杯なのであります。南無阿弥陀仏
今や、地獄極楽の存在など疑ってみようとする心の恐ろしさに身をば悶えるのであります。ただ南無阿弥陀仏々々々々々々
しかし日常生活は煩悩の起こりづめで、ことさらに変わったところもなく、といってそれとて一時の間で、後は悲しみも楽しみにさせていただいております。今後ともますます諸兄の御指導をお願い致す次第であります。」

ここに記されている『仏敵』とは、華光会創始者の伊藤康善氏の著書である。
ちなみに高森氏は獲信間もない頃、学友や同行の獲信を念じて伊藤氏の著書を薦めていた。また、親鸞会の古くからの幹部の中には高森氏から伊藤氏の著書を手渡されていた人もいた。

親鸞会では、獲信を早めるには善知識や親鸞会に対して心身ともに無条件服従する姿勢が大切であると教導されている。
「善知識の仰せに対し本会の指示に対し、何事も何事も仰せのままに指示通りに無条件で服従するように努めていかねばならない。これが求道であり、この過程があってこそ、親鸞聖人の『よき人の仰せをこうむりて信ずるほかに別の仔細なきなり』という真の無条件服従が体験できるのである。この絶対の体験をするまで、聴聞によって無条件服従の心を培い、本会の指示に無条件に従うことによってその形を整え、心身ともに無条件服従へ仕向けていく努力が自己の信心決定を早め、強固な組織作りとなり、真宗の流れをより早く可能たらしめるのである」(出典:親鸞会発行『顕正新聞』) [seaglet]

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獲信の記録 (ぎゃくしんのきろく)
【更新時刻】 2009/03/03 13:36:04
【分類】 [活動] [発行]
【参照URL】 http://gyakusinkiroku.blog40.fc2.com/
【関連語】 化城を突破して
【意味】 (→意味追加)
(1) 高森顕徹氏が華光会の同人であった頃に出版した著書。当時の販売価格は100円。
1948年12月25日に印刷、1949年1月5日に華光社から発行された。
また、1950年3月1日に再版された。
初版の際には『化城を突破して』というタイトルであったが、再版の際には『獲信の記録』と改題された。
内容は高森顕徹氏が関係した5人(富山県の華光会同人)の獲信の記録と華光会主筆で高森顕徹氏の師でもあった伊藤康善氏を囲んでの座談会の模様、そして「信心数え歌」が収録されている。座談会は1948年8月下旬に高森顕徹氏の出生した真宗末寺である遠景寺で行われた。
信心数え歌」は親鸞会の正信聖典にも収録された。
図書紹介のページには高森顕徹氏の師である伊藤康善氏の著書『仏敵』と華光会の機関紙である『華光』が載せられている。 [seaglet]

【ファイル】
      [1] 表紙 (top.JPG: 0.00KB) [seaglet]
      [2] 奥付 (colophon.JPG: 0.00KB) [seaglet]
      [3] 図書紹介 (CM.JPG: 0.00KB) [seaglet]

【一言】 (→コメント追加)
[01/08 13:10] seaglet:高森氏の体験部分は華光会発行『華光』第5巻の第5号に「私の信仰体験」と題して掲載されていた。
[01/08 05:35] お願い:これは中身(高森氏の体験部分)もイメージをアップして欲しい。


キャビン (きゃびん)
【更新時刻】 2008/08/19 07:11:40
【分類】 [その他] [その他]
【参照URL】
【関連語】
【意味】 (→意味追加)
(1) 高森顕徹氏が布教のために最初に乗った自動車。
フジキャビン(FUJICABIN)。1955年。小型3輪自動車。排気量125cc。二人乗り。小豆色。
この車は当時、富山県内に数台しかなかったという。 [seaglet]

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